アシュタンガヨガをはじめた方にとって、多くの場合難しいアーサナを習得することよりも毎日練習するということの方に難しさを感じるかもしれません。
アシュタンガヨガをはじめて楽しさを感じこれからも続けていきたいと思っているものの、いざ練習しようと思うと腰が重くなってなかなかマットに立てなかったり、デイリープラクティスにハードルを感じている方や、練習そのものになんとなく大変さを感じている方へ、私が大好きな本の一節をご紹介したいと思います。

ドイツの作家ミヒャエル・エンデ氏の「モモ」という本をご存知でしょうか?
児童文学の名作として学校の図書室などにも今も置いてあるのかな。
私がこの本と最初に出会ったのは中学の図書室でした。
あの時はただただ物語に引き込まれて読んだだけだったのかもしれないけど、この物語を通して生きる中で忘れてはいけない大切なことを教えてもらった気がしていました。
大人になって読み返してみても心に響く言葉がたくさんで、忙し過ぎて心に余裕がなくなってしまった時にはモモのことを思い出すようにしています。
登場人物の中に無口な道路掃除夫ベッポという名前のおじいさんがいて、人々からはおかしな人扱いされているのですが深く考えてから話す一言一言にとても力があります。
そこには八支則の中で大切な価値感として教えられているサティヤ(正直に徹した者には、行為とその結果がつき従う)が現れているように見えます。
以下はそんな「モモ」四章の中から主人公のモモというふしぎな女の子に無口な道路掃除夫ベッポが語り掛けるシーンです。
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「とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
「そこでせかせかと働き出す。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげてみるんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」
ここで彼はしばらく考えこみます。それからやおらさきをつづけます。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
またひとやすみして、考え込み、それから、
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
そしてまたまた長い休みをとってから、
「ひょっと気が付いたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかはじぶんでもわからん」
彼はひとりうなずいて、こうむすびます。
「これがだいじなんだ」
引用元
ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳 「モモ」岩波書店
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さあ練習をはじめようとする時に練習全部のことを考えるのは長い道路ぜんぶのことを考えるのと同じで、とてもじゃないけどやりきれないと思ってしまうこともあるかもしれません。
そんな時はこのベッポじいさんの言葉を思い出してみてください。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
つぎの一歩って何だろう。
マットをひろげること?息を吸って手を上げること?はたまた家から出てスタジオに向かうこと?
それができたらまた次の一歩、次のひと呼吸。
人によって時によってその一歩が何なのかは違うかもしれないけど、そんなふうに次の一歩のことだけを考えてやってみたらベッポじいさんが言うように楽しくなって気がついたらどうやってやりとげたかわからないところまで行けたりしちゃってきっともっと楽しくなってくると思います。
アシュタンガヨガの練習だけでなく仕事や日常生活あらゆることに役立つベッポじいさんからのありがたい言葉のギフトでした。