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2025年8月6日水曜日

感謝でいっぱいの13年目

8月1日にYOGA studio SWELLは12周年を迎えました。

暑い夏の日に汗を流しながら行ったスタジオ作りの日々が昨日のことのように思い出されますが、思い返せば12年という歳月の中で本当に様々な出来事と、数えきれない程沢山の出会いといくつかのお別れがありました。

これまで支えてくださった全ての皆様に改めて感謝するとともに、これからも私にできることを精一杯尽力していきたいと思いを新たにしています。

日々通ってくれている皆様、これまでSWELLに足を運んでくださった全ての皆様、来れなくても応援してくださる皆様、家族や友人、そしていつも側でサポートしてくれている和美先生、受け継がれた教えを大切に守ってきてくださった先生達、様々な形で関わってくださり支えてくださっている皆様に心から感謝しています。
日々皆様から本当に沢山の学びとギフトを受け取っています。
本当に本当にありがとうございます。

13年目も笑ったり泣いたりしながらSWELLと共にみんなで一緒に歩んで行けたら嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。

今年は周年イベントは予定していませんが
8月24(日)は10:00~マイソールクラス、11:40~ヨーガのお話クラス
(その後のビギナークラスはこの日はお休みにさせていただいて)
12時頃から久しぶりにみんなで一緒にランチに行けたらいいなと思っています。
普段ビギナークラスにご参加の方もこの日はマイソール&ヨーガのお話クラスへのご参加からのランチの流れでいかがでしょうか。
ランチに行けそうな方、一週間前くらいまでに麻子か和美先生までお知らせください。
ランチだけのご参加も歓迎です。






クラスが終わってスタジオを出る度に、今日も楽しかったなぁ!と
感謝と喜びが溢れる日々です。
13年目もよろしくお願いいたします!

YOGA studio SWELL
柴田麻子


2025年4月1日火曜日

ナンシー先生がのこしてくれたもの

ナンシー先生と出会ったのは今から13年前。2012年のことだった。

それ以前にヨガを学んでいた先生から、アシュタンガヨガを続けていくなら絶対に会っておいた方が良い重要な先生がいるという事を聞かされていて、それ以来ずっとその名前が頭の中にあった。

ナンシーギルゴフ。

共にヨガを学んでいた先輩から、「沖縄にナンシー先生が来るから一緒に行ってみない?」と声をかけていただき「いきます」と返事をしたことは間違いなく私の人生の大きな分岐点となった。

2012年のその沖縄で、私はナンシー先生と、アシスタント兼通訳だった恵子先生、アシスタント兼オーガナイザーだったツトム先生と初めて出会った。
その時に受けたアジャストメントクリニックという五日間のワークショップは午前中はマイソールクラス、午後はアシュタンガヨガについてお話とアジャストメントを通して学ぶという構成で行われた。
その五日間の中で、ナンシー先生の口から語られることやクラス全体に流れている空気感が、自分がそれまで抱いていたアシュタンガヨガのイメージと何か違いがあるのを感じた。

その時点で細々ながら7年程アシュタンガヨガを練習していて、たまにスタジオに行く程度でほとんどが自宅でのセルフプラクティスだったものの、確かセカンドシリーズのカポターサナまでの練習をしていたような記憶がある。
それまで習ってきた先生達から教わってきた事をただ真っすぐに練習していた。ポーズの"完成形"を目指して努力していくもの。そういうものだと思っていた。そこに疑問は無かった。


アジャストメントクリニック初日のマイソールクラスでプライマリーの練習をした。
プライマリーシリーズの最後のアーサナ、セツバンダーサナを終え、いつも通りバックベンドの流れに移り、立ち上がってドロップバックをしようと体勢をととのえていたその時、「プライマリーの時はドロップバックしないさ~」とつとむ先生から声がかかった。

(えっ?しなくていいの?)

よくわからないながら、その声に従ってマットに座るとなんとなくほっと心が軽くなった感じがした。

翌日のマイソールではプライマリーとセカンドシリーズの前半を練習した。
はっきりと覚えていないがカポターサナで先生のうちのどなたかが来て下さったと思う。自分としてはもっと深くかかとの方へいかなくてはと思っていたけど、つま先に手が触れたかどうかのところで5呼吸終わり、起こしていただき「ナイス!」と。そして去っていった。

(かかとをつかめるようにもっとやらなくていいの?)

よくわからないながら、これで「ナイス」なのか。
肩の荷が下りた感じがした。

午後のアジャストメントクリニックでナンシー先生から語られる様々なお話からそれらについての説明もあり、日が進むにつれ軽くなる心を感じるとともに、私は知らぬ間に「自分はまだ足りていない」というプレッシャーを自ら背負っていたことに気づいた。

軽くなった感じがしたということは自覚はなくてもそれだけ重かったということで、気付いていなかったその荷物をどさっとおろした感じがしたのだ。

抱えていた緊張が抜けて、楽しさが内側から湧き出てきた。
この先生達からもっと学びたい。
そう思った。

そこからナンシー先生、恵子先生が来日する度に沖縄のツトム先生のスタジオなどでクラスに参加して学びはじめることになった。幸いなことに恵子先生とつとむ先生の献身的なバックアップのおかげで年に一度は日本でナンシー先生のクラスを受ける機会に恵まれ、恵子先生の年2回の来日時と、そのうちに恵子先生とつとむ先生に八王子へお越しいただける幸運にも恵まれ、2017年と2019年にはナンシー先生にお越しいただくという、八王子にいながらにしてとても恵まれた環境で学び続ける事ができるようになっていった。


ナンシー先生が1973年にはじめてグルジ(sri.K.パタビジョイス師)からアシュタンガヨガを学んだ時の話はとても楽しく興味深く、クラスの間グルジもナンシー先生達もいつも笑顔が絶えず、練習はとても楽しいものだったということを話してくれた。その話をする時のナンシー先生はいつも笑っていた。

ナンシー先生が初めてインドのマイソールを訪れた時、グルジは病気を抱えた人達の治療の為にこのヨガを教えていたこと。そしてナンシー先生自身、大量の薬が欠かせない程の身体の不調を抱えていたにもかかわらず、グルジのもとで練習を始めてからみるみる健康を取り戻していったこと。(そして70歳をすぎるまで世界中を回りながら大勢の生徒達にアシュタンガヨガを伝え続けていた。)
最初の4か月のインド滞在の間にプライマリーシリーズとインターミディエートシリーズの全てを学んだ事や、ポーズの"完成"という事についてグルジから言われたことは無いということ(例えばマリーチアーサナDで手が繋げるかどうかとかカポターサナでカカトをつかむようにとか言われたことは一度も無いなど)そしてプライマリーとインターミディエートの両方を行うことによってこのシステムの恩恵を享受できるような体系となっているので、プライマリーだけの練習に長年留まるべきではない。
一回の練習に長い時間をかけずぎず一時間程度のものにすること。呼吸のことやアーサナの意味や、手の位置の意味、足の位置の意味、無駄のないアプローチなど細かいことの全てが当時の私には新鮮なことが多いながらも納得することばかりだった。

(※これら練習に関する具体的なことは文字だけでは誤解を生みやすく正しく伝わることではないと思うので、ぜひクラスやワークショップに参加してこの事を受け継ぐ指導者から直接話を聞いていただきたいと思う。)

それ以来そのシンプルな練習方法にシフトしていく中で徐々に「自分はまだ足りていない」という感覚が薄まっていくのを感じていた。

私は私のままで良いみたいだ。
そんな風に自分を受け入れることを学びながら、日々の練習の質感はどんどん軽くなっていった。



ナンシー先生に出会ってこの練習方法で続けて13年。今私の身体はもしかしたらナンシー先生に出会う前よりもある部分では柔軟ではないかもしれない。でも日々の自分の身体を受け入れながら練習そのものを楽しみながら練習を終えた時には元気がチャージされているそんな今にとても満足している。
ナンシー先生と出会う前の7年間よりもその後の13年間の方が確実にアシュタンガヨガのメソッドの恩恵を受けているような気がする。
何かができるようになったら”完璧”なのではなくて、今この瞬間が”完璧”だという教えは私にとってなにより”完璧”な働きをしているように思う。



グルジが亡くなる少し前、ナンシー先生がグルジに「様々な事が変わっていっています、、私はこれからどのように教えていけば良いのでしょうか」と質問した際、グルジは「私が"あなた"に教えたように教えなさい」と言ったという。それはナンシー先生にとってとても強いメッセージだったそうだ。

その言葉を胸にナンシー先生はご自身が教わった通りに教えつづけた。メソッドそのものだけでなくグルジのクラスがいつも笑顔でいっぱいだったのと同じように溢れる笑顔とともに。
アシュタンガヨガの人口が世界中で爆発的に増えて様々なことが変わっていく中で、それを保ち続けるというのは、深い尊敬と献身がなければできなかったことだろうと思う。


学び始めた当時のナンシー先生はとても身体が弱く一人で行うのが困難なアーサナが沢山あったという。グルジが手取り足取りのアジャストメントによって全てのアーサナを教えてくれたようで、当時パートナーだったデヴィッドウィリアムズはその姿を見てアーサナを習得していったという。(デヴィッドはそれ以前からハタヨガを実践していて既にヨガのアーサナに馴染んでいたそうだ)
その学び方の違いにより、共に学んだ二人ではあるけれどアジャストメントで伝えるナンシー先生と違い、デヴィッドはほとんどアジャストメントはしないという全く異るティーチングスタイルになったそうだ。

ナンシー先生はナンシー先生がグルジから教わった方法で、他の人はその人がグルジから教わった方法で教えている。先生と生徒が一対一で個別に伝えられたものだったからこそ、そこに違いがある。
それらはそれぞれが尊重されるべき大切なものだと思う。
どちらが正しい間違っている、どちらが優れている劣っているという話ではない。

ナンシー先生がグルジから一対一で教わった事を守り私たちまで受け渡してくれたことは本当に貴重なことで、こうして日本でこの教えを受け取る事ができたのは紛れもなく恵子先生やつとむ先生達の献身とたゆまない努力のおかげで、そのお二人が「このアジャストメント、このティーチングに誇りを持ってください」と話してくださる事が時間が経つほどにじわじわと私の中に広がっているのを感じる。

当時決して丈夫な体ではなかった女性が学んだこの練習方法は、アシュタンガヨガは年齢や性別、どんな体型どんな健康状態であるかにかかわらず誰でも安全に実践できるものであり、そして自分自身を受け入れながら身体と心を元気にしていく効果のあるものであるという事を教えてくれている。そしてアシュタンガヨガのプラクティスは楽しい!ということを。
このような道があるということを約50年間もの間守り伝え続けてきてくださった事にただただ深く感謝している。

アシュタンガヨガは健康な人や体力のある人や柔軟な人といった特別な人のためにあるのではなく本当は誰にでも”全ての人”に開かれている道だということを示し続けてくださった事に心から感謝して、これからも献身とともに学び続けそして次の人へ手渡していくという事を愛と感謝を持って続けていきたい。
受け継がれてきた笑顔とともに。



実際にお会いするのは最後の年となった2019年。八王子でのクラスにて。


2016年北海道ニセコで初めて開催されたプラクティショナーズクリニックにて
最終日に撮らせていただいた一枚。























2025年2月24日月曜日

山通いはスタジオ通い


2月は一年の中でも最も寒い日が続きスタジオに練習に来る方が少なくなる時期なのですが
今年は普段のメンバーに加えて久しぶりの方や初めての方が多く来て下さっています。

春に向かって自然界では新たな命たちが準備を始めているこの時期、私達人間の中にも何かをはじめようとするエネルギーが湧いてきているようです。

私も年末から始めた新月満月の山歩きが楽しくて、ムーンデー以外にも時間をみつけてさくっと歩きに行ったりしています。

新しい事を始める時、最初の一歩はとても勇気が必要で何か背中を押してくれるようななきっかけだったり前から引っ張ってくれる仲間のサポートなどがあってこそはじめの一歩を踏み出せたりする。

私の場合はvivo barefoot shoesという裸足感覚で歩ける靴との出会いがきっかけとなりただ歩くことの楽しさに目覚め、八王子という土地柄もあってか周りに近くの里山歩きを楽しんでいる人達がいてその人達から色々な情報をもらったりしている中で2年位とある山が気になりながらもまだ行くには至らず、ようやく昨年の年末に友人が山歩きに行くというのに便乗させてもらってはじめの一歩を踏み出した。下山した後は筋肉痛になって、またすぐに、という気持ちにはならなかったんだけど直感的にこれは続けたいなと思った。

2回目か3回目くらいまでは最初の勇気と勢いと楽しかった感触がまだ残っていて「行くぞ」というスイッチが入りやすい。というより楽しくて行きたくて若干前のめり気味。だけどそこから少し間が空いてしまうと”楽しい””わくわく”が少し薄れてしまって、面倒だなとかまた足痛くなるの嫌だなとか、ネガティブな面が目立つようになりスイッチが入りずらくなってしまった。

でもアシュタンガヨガの練習で培ってきた”とりあえずやる”の精神で、あれこれ考えすぎるのをやめて山歩きに行くために少し早く起きて着替えて家を出る。スイッチが入ったら動くのではなく動きながらスイッチを入れていく感じで。
その"とりあえずやる"のおかげで間をあけすぎることなく歩いていたら、徐々にいつもの距離を少し楽に歩けるようになっていることに気が付いた。

さらに先日スノーボードの為に雪山に行って、少し歩いて登るところがあったのだけど今までよりも明らかに楽に登れるようになっていた。
体調のせいとか雪の量とかではなく明らかに自分の身体が変化しているのを感じたのだ。
でも一番変化したのはメンタルかもしれない。登ることがとにかく嫌いだった私が歩きながら楽しいと思っているなんて。

山歩きと言ってもだいたい一時間前後。もっと少ない時もあるしもう少し長い時もある。
それでも自分なりのひとつのプラクティスとして、ひとつの瞑想として、その日のペースでいけるところまで行って帰って日常のルーティーンに戻っていく。

私にとってはこの山通いがある意味みんながスタジオに通うのと似たような位置にあるものなのかもしれない。

"とりあえずやる"の精神で歩き続けたらいつかまた違う景色が見えるんだろうな。











2025年1月20日月曜日

ベッポじいさんの言葉



アシュタンガヨガをはじめた方にとって、多くの場合難しいアーサナを習得することよりも毎日練習するということの方に難しさを感じるかもしれません。

アシュタンガヨガをはじめて楽しさを感じこれからも続けていきたいと思っているものの、いざ練習しようと思うと腰が重くなってなかなかマットに立てなかったり、デイリープラクティスにハードルを感じている方や、練習そのものになんとなく大変さを感じている方へ、私が大好きな本の一節をご紹介したいと思います。



ドイツの作家ミヒャエル・エンデ氏の「モモ」という本をご存知でしょうか?
児童文学の名作として学校の図書室などにも今も置いてあるのかな。
私がこの本と最初に出会ったのは中学の図書室でした。
あの時はただただ物語に引き込まれて読んだだけだったのかもしれないけど、この物語を通して生きる中で忘れてはいけない大切なことを教えてもらった気がしていました。
大人になって読み返してみても心に響く言葉がたくさんで、忙し過ぎて心に余裕がなくなってしまった時にはモモのことを思い出すようにしています。

登場人物の中に無口な道路掃除夫ベッポという名前のおじいさんがいて、人々からはおかしな人扱いされているのですが深く考えてから話す一言一言にとても力があります。
そこには八支則の中で大切な価値感として教えられているサティヤ(正直に徹した者には、行為とその結果がつき従う)が現れているように見えます。


以下はそんな「モモ」四章の中から主人公のモモというふしぎな女の子に無口な道路掃除夫ベッポが語り掛けるシーンです。

*************************************

「とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。

「そこでせかせかと働き出す。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげてみるんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」

ここで彼はしばらく考えこみます。それからやおらさきをつづけます。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

またひとやすみして、考え込み、それから、

「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

そしてまたまた長い休みをとってから、

「ひょっと気が付いたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかはじぶんでもわからん」

彼はひとりうなずいて、こうむすびます。

「これがだいじなんだ」


引用元
ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳  「モモ」岩波書店

*************************************


さあ練習をはじめようとする時に練習全部のことを考えるのは長い道路ぜんぶのことを考えるのと同じで、とてもじゃないけどやりきれないと思ってしまうこともあるかもしれません。
そんな時はこのベッポじいさんの言葉を思い出してみてください。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

つぎの一歩って何だろう。
マットをひろげること?息を吸って手を上げること?はたまた家から出てスタジオに向かうこと?
それができたらまた次の一歩、次のひと呼吸。
人によって時によってその一歩が何なのかは違うかもしれないけど、そんなふうに次の一歩のことだけを考えてやってみたらベッポじいさんが言うように楽しくなって気がついたらどうやってやりとげたかわからないところまで行けたりしちゃってきっともっと楽しくなってくると思います。


アシュタンガヨガの練習だけでなく仕事や日常生活あらゆることに役立つベッポじいさんからのありがたい言葉のギフトでした。




2025年1月14日火曜日

満月の日の山歩き

昨年大晦日の新月の日、友人に近くの山に連れて行ってもらった時に新月満月の日はここへ来ようと閃いた。

新月満月の日は練習はお休みでクラスも無いので朝は時間に余裕がある。
お店(RIDE SURF+SPORT)の仕事も昼からなので朝だけさくっと歩きに来れたら最高じゃないかと。(海や雪山に行かない日に限られるけど)

そもそも私は歩くことや登ることがもともとあまり好きではなくどちらかというと避けがちだったのだが、2年ちょっと前に弊店で取り扱いを始めてオーストラリア3週間旅のタイミングで履き始めたvivo barefootという靴のおかげで歩くことが好きになっていった。自然地形を歩く時間が多かったこともあると思うけど、だからこそ足裏から感じる大地の感触が楽しくてあえてボコボコしたところを踏みたくなったりして自分にしてはあちこち積極的によく歩いた。

その後、せっかく近所に山があるんだから仕事前にちょっと歩いたりしたいなーなんて思って数人から高尾周辺の低山情報をいただいていたにもかかわらず、日々の色々を言い訳にしてあっというまに時は過ぎて2年が経ちようやくタイミングがやってきたようだ。


個人的な今年の外側の目標として「最低でも月に2回できれば新月満月の山歩き」という話を年始のサットサンガでしてから最初の満月。
アーサナの練習はなし。波はあるけど私には大きすぎるのでサーフィンはなし。雪のコンディション的にスノーボードもなし。ということで絶好の山歩き日和!

家から20分で登り始められて、頂上を目指さない往復2時間弱の山歩きは私にぴったりで、まだ3回しか歩いていないけど毎回同じ道を選んでいるので「あっここ知ってる」という安心感と繰り返して馴染んでいくことの心地よさがアシュタンガヨガっぽいなぁと思っている。
この登りアーサナの次はこの下りアーサナで、この辺にちょっときつめのアーサナがあって、その先でほっと一息つけるアーサナがあって、、みたいな感じとか、同じ山頂に向かう道でもたまに左右に分かれるところがあって、左は急で右は緩やか。さてどっちを選ぼう?今日はまだ元気があるから左から行ってみようとか。疲労があるから右から行こうとか。その時々の選択がある。アーサナプラクティスをしていても山を歩いていても同じようなことをやっていて、結局のところどの道具を使って心を扱っていくかという違いがあるだけで、何であれ自分次第でその行為がヨガになっていくのだろう。

いろんな山に行ってみたい!という欲は今のところ全くなく、この同じ山道をひたすら往復して深く知っていきたい気持ちでいるところから、私ってほんとに繰り返しを通しての探求が好きなんだなぁと改めて思ったり。

3回歩いたくらいで大袈裟に語ってます(笑)

今日は明日から南の島へ短期移住する妹と、姉とその息子もタイミングよく一緒に歩くことができて嬉しかった。
甥はすぐに帰りたがるかなと思ったけど解き放たれたお猿のようにそして風のように軽々とどこまでも飛んでいきそうな勢いで、楽しかった!また山登りたい!と言っていて、とても嬉しかった。元気いっぱいの甥っ子のおかげで予想以上にハイペースでの楽しい山歩きとなった。

次の新月も晴れるといいな。
























2024年12月29日日曜日

今年一年ありがとうございました

本日をもちまして年内のクラスが終了しました。
プライマリーレッドクラスには沢山の方がお越しくださり
皆さんとても素晴らしい呼吸でナイスプラクティスでした。
Mさんの娘さんMちゃんもはじめてのアシュタンガヨガ
笑顔で最後までがんばりました!

風邪など色々と流行していてご参加いただけなかった方も
多くいらっしゃいましたが、こうして集まって練習できること
クラスをさせていただけることに感謝の気持ちでいっぱいです。

今年一年スタジオへ足を運んでくださったみなさまに
心より感謝しております。
本当にありがとうございました。
来れなくても思いを寄せて下さっている皆さんのことも
いつも想っています。
またいつでも帰ってこれるように、ほっとできるように
みんなでこの場所を温めておきます。
いつでも安心して帰ってきてください。




レッドクラスに参加してくださった皆さんと。
年末のお忙しい中ご参加くださりありがとうございました!
楽しかったなぁ~!

終了後、お時間のある方達が残ってくれてみんなで大掃除をしました。
みなさんあちこち率先してお掃除してくれて
あっというまにぴかぴかになりました!




大掃除に参加してくれた皆さん!
どうもありがとうございました。
ぴかぴかの窓と床、そしてみんなの心もぴかぴか!


皆さんが去った後
一年間私達を支えてくれたこの空間にありがとうございますと
手を合わせてスタジオを後にしました。


今年は私達が師事するナンシー先生の旅立ちに続きロルフ氏、シャラート氏と
グルジ亡き後アシュタンガヨガを牽引してこられた先生達の旅立ちがつづきました。

生きること、死ぬこと、受け継ぐこと、
改めて色々と考え、そして学んだ一年でした。

私達の本質は生まれることも死ぬこともないと言われますが
肉体には誕生と死があって、どんなに健康な人でも肉体は死に向かって変化を続けています。
この体で生きられる人生は一度だけだからこそ
この体を愛しんで出会う人達との時間も愛しんで
この人生を大切にしましょう。


また来年、スタジオでご一緒できることを楽しみにしています。
新年は1/5(日)10:00 Primary Ledクラスからのスタートです。
11:30からは1時間程度の新春サットサンガを予定しております。
新年の抱負などある方は是非宣言の場に使ってください。
ご一緒できることを楽しみにしております。


それでは皆様
よいお年をお迎えください。


YOGA studio SWELL
柴田麻子


















2024年12月8日日曜日

2024年のサットサンガまとめ

今日は今年最後のサットサンガでした。

少人数で、それぞれ今年一年を振り返りながらざっくばらんに楽しくお話しました。
年始に掲げた抱負が鍵となってさまざまな気づきがあった方、うまくいく日ばかりでなくても自分を向かいたい方向へ向けるプラクティスを続けた方、不調から様々なことを学んだ方、one dayがcomingした方、最近新しいことを初めて、嬉しい!楽しい!大好き!が溢れている方、みんなのお話を聞いていたら幸せな気持ちでいっぱいになりました。

私が今年のはじめに掲げた抱負のひとつに「月に一度はサットサンガをひらくこと」というものがありました。ワークショップなどスケジュールの都合で開催できなかった月もありましたが、ワークショップで集い練習したり話をすることもサットサンガだと捉えると、掲げたとおり月に一度サットサンガをひらいてこれました。達成することにこだわっていたつもりは無いけれど宣言したことが支えになって継続してこれたのかもしれないなぁとも思っています。
なによりも参加してくださる方がいるからこそのサットサンガです。一年間ご参加くださった皆様ありがとうございました。
普段なかなか語り合う事のないテーマで話すのは面倒くさかったり恥ずかしかったり言葉にするのが難しかったりしますが、大切なことだからこそ感じていることを話したり、そこから考えてまた話したり、それを日常に活かして、、ということをこれからも続けていきたいなぁと思っています。


サットサンガではどんなことを話しているの?とよく聞かれるのですが、
今年お話してきたことはざっと振り返るとこんな感じでした。

1月は祈りについて。どんな行いも何らかの結果を生み出す原因になるといいます。祈りというのも行いです。行いは必ず結果を生みます。元旦に能登の震災があり何かできることがないかと思いを募らせる日々でしたが、具体的にできる支援の他にも祈ることも立派な行いですから祈りましょう。そんなお話をしました。新年の抱負についてもみんなでお話しました。

2月はダルマ(調和・秩序・法則・義務・役割)について。どんなことも大きな視点で捉えてみると思い通りにいかなかったことでさえも最適なタイミングに最適な結果が与えられているという理解を持つことが人生においての衝撃吸収材になります。そんなお話や、「幸せを感じるときってどんなとき?」というテーマでもみんなでお話しました。あたたかいお風呂に入っている時、あたたかい布団に入るとき、家族で集まって過ごした時、いろんなお話がありました。それらは幸せを運んでくれるものなのではなくて幸せに気づく手段で、私たちはそれらの手段を使って自分の本質である幸せを体験しているんです。そんなお話をしました。

3月は比較や嫉妬から自由になるには?をテーマに。アーサナを習う時にこれから向かう先を教えてもらうのと同じように心にも向かう先を教えていきましょう。比べる気持ちは自然なもの。その気持ちをなくそうとしなくて大丈夫。その気持ちを持ったままでプレッシャーから自由に努力を楽しんでいくには?そんなお話を。

4月はナンシー先生を想う会としてみんなで3月に肉体を旅立たれたナンシー先生に祈りを捧げました。

5月は「私を支えている存在」に目を向ける時間にしました。
配偶者がいる方の多くはその配偶者の方が一番に思い浮かび、「ではその人を支えているのは?」という質問には皆さん口を揃えて(かぶせ気味にw)「私です!」と回答してくれてみんなで大笑いしました。
私を支えてくれている存在に目を向ける事を習慣にしていると、自然と感謝が沸き上がり穏やかに安心して生きていくことができると思います。そんなお話とか。

6月は期待について。ヨーガという生き方を通して向かっていくのは期待通りに他者や周りをコントロールして自分を満足させようとするのではなく、自分の中にある他者や周りへの期待を理解すること。どうあるべき、べきでない、何をすべき、すべきでない、という自分のエゴに気づいていく視点を育てていくこと。期待をなくそうとするのではなく、自分がどんな期待をもっているのかの理解が大事。ほんとうは誰かにエゴを満たしてもらわなくても満ちているのが私という存在です。そんなお話。

7月は近況や心の扱い方の変化などこの半年を振り返りみなさんにたっぷりお話していただきました。

8月は人間関係においてのストレスについて。近い存在ほどストレスがある。その人は私たちの人生の中で重要な人だったり期待している人であり、特別な人でいてほしいという期待がある。でもそもそもなんでその期待があるのか?というお話。

9月は恵子アームストロング先生のワークショップがありました。

10月は自分の役割(スヴァダルマ)についてのお話。ヨーガをする人が何か行いを選択するときに基準にするダルマという価値観について。面倒くさいとかやりたくないと思うことの中にも自分のダルマがあるかもしれません。役割を自覚して覚悟をきめたら日々のいろんな事を喜びながらできるようになるかもしれません。やりたくなかった事がやりたいことに変わってしまうかもしれません。みなさんそれぞれの役割について考えてみましょう。そんなお話をしました。

11月は恵子先生とつとむ先生にお越しいただきアジャストメントケアというワークショップを開催しました。

そして12月、今日はみんなでお話をして沢山笑って、最後はSWELLというスタジオの名前の意味についてお話をして結びました。ヨーガという生き方を通して平和な心を育み、それがうねりとなって世界中に広がっていきますように。そんな祈りをSWELLの名前にこめています。
プラクティスやサットサンガ、ヨーガのお話クラスなどを通してこの場が少しづつでもそんなうねりのはじまりになっていたら嬉しいです。

生きる中で誰しもが経験のあるようなことをテーマに来年もまたサットサンガを続けていきますのでシェアしたいことや取り上げてほしいテーマなどがありましたらいつでもお知らせください。また、その場では発言できなかったけど後から言いたかったことが出てきたり感想や質問がある方もいつでもご連絡ください。皆様からのご意見ご感想ご質問があると大変励みになります。

来年も皆様とお話できることを楽しみにしています。



2024年3月25日月曜日

Rest in peace Dear Nancy

 私達の親愛なるナンシーギルゴフ先生が肉体を離れ次なる旅へ旅立たれました。

1973年にインドのマイソールでSri.K.パタビジョイス師から西洋人の女性として初めてアシュタンガヨガを学んだナンシー先生はその後生涯をかけて世界中の人々にアシュタンガヨガを伝えました。

長年に渡る献身さに心からの感謝と敬意を捧げます。

ナンシー先生の魂はこれからも限りなく自由で満ちた存在としてあり続けるでしょう。

ナンシー先生から学んだ事、受け取った愛をこれからも大切に受け継いでいきたいと思います。

心からのアロハと感謝を🤍


Our dearest teacher Nancy Gilgoff has left her body.

Nancy was the first western woman to practice Ashtanga yoga with Sri.K.Pattabhi Jois in Mysore,India in 1973 and she spent her life teaching Ashtanga Yoga to people all over the world.

We offer our deepest respect and gratitude for her dedication over the years.


Her soul will continue to be infinitely free and full.

We’ll continue to treasure the love we received from her.

Sending lots of ALOHA🤍and gratitude.

We love you Nancy.












2023年12月8日金曜日

【My first India trip】⑥アシュラムでの日々が終わる

先の「マダム!」の件など色々と面白事件はありつつも、アシュラムの中は本当に穏やかな空気が流れていて、何もせずただそこにいる事が許されている感覚が心地良かった。

食事と食事の合間の時間には巡礼者と共に歩いたり座って瞑想したりして過ごした。
何の役割も無いただの私として黙って過ごした時間はとても穏やかなものだった。
それはずっとここにいられるかもしれないと思える程のものだった。

幸せを手に入れようとあれこれを求めて日々役割を持ち日々何かしらの行いをしているけれど、何も求めず何もせずただそこに在るだけで満たされ幸せを感じる、という事は?
やっぱり幸せは外側に求めるものではなく既に持っていて、聖典で言われているように満ちていること幸せこそが私の本質であるという事なのだろう。

不意に「where are you from?」とか言われると「あぁ、私は日本人で旅行者だ」というここでの微かな役割を思い出したりはしたけれど。
大きな安心感を味わう体験となった。



そうしてとても素晴らしい経験となったアシュラムでの数日間も終わりを迎えた。
最終日の前日、相変わらず緊張のオフィスに行くとあのおじさまがいて、お世話になったお礼を伝えると、胸に手を当て首を傾げながらほんのり笑ってくれた。
初めて見た笑顔が嬉しくてとても心が緩んだ。
なんだ〜、ほんとは優しいじゃん。笑


祈りと瞑想の為に多くの人が訪れるこのラマナアシュラムはドネーションで運営されている。お渡ししようと思っていたところドネーションの受付窓口が閉まっていたのでオフィスのおじさまに聞くと「友達に預けておけばいいよ。」と言うので、感謝の気持ちと共にマリさんに託させてもらった。

マリさんのおかげで初めてのインドで素晴らしい経験ができて心から感謝でいっぱいだ。
本当にどうもありがとう。

聖者ラマナマハルシが16歳で一人家を出てから生涯暮らした”地球のハート”と言われるアルナーチャラの地で過ごした経験は確実に私の中に何かを残した。


そういえば、初日に「私もうインド無理かも」と弱音を漏らした和美さんだったが、二日目には「私得意な事見つけちゃった!」と意気揚々としていた。
どうやらオートリキシャや車やオートバイが行き交う道路を渡るのが全然怖くないらしくむしろ楽しいようで、初日はどうやってこれから二週間和美さんが楽しく旅を続けられるように励まそうかと考えたりもしたけど、時間帯によって交通量が多いあの道路を渡るのが今のところ一番のストレスかも、、と感じていた私にとってこれ以上ない頼りになる存在となり、「ほら今だよ」と言う和美さんの腕につかまり安心して道路を渡る事ができた。結局すっかり助けてもらったのは私の方だった。笑

日本にいたら気づかないであろう特技が見つかって嬉しそうな和美さんであった。笑


アシュラムの外の通り。木陰で休むサドゥーの方々。

近くのカフェにも大きなラマナの写真が。

マリさんのお家の屋上に上がると聖なる山アルナーチャラの姿が。










2023年11月30日木曜日

ヨーガとしてのサーフィン

サーフィンをする時、できるだけ人の少ない場所を探して入るようにはしているのだが、それでも波の良い時は多くの人達と一緒にやることになる。

一つの波にはサーファー達がピークと呼ぶ波が崩れ始める場所がありその近くにいる人がその波に乗る優先権を持つことになる。海に入る時、基本的にはピークに人がいたらショルダーというピークから離れたところから入ってそこでしばらく様子を伺う。ピークにいる人達が一通り乗るまですぐにはピークには近づかない。そういうものだと学んできたし、そうする事が自分にとっては心地よい。そうしてその場の空気に少しずつ馴染みながら周りの人とのリズムをはかり波に乗る。

人が多いときは全くピークに近づけず、そのポイントで一番の良い波には乗れない事の方が多いが、混雑から離れ手前や端っこで自分のお気に入りピークを見つけて一人気ままに波乗りを楽しむのも好きだ。

ほぼ無人、という状況はよくあるけれど、完全に無人の時なんてそう滅多には無いからサーフィン中には人との関わりというものがある。

そんな中で時々、全ての波に乗ろうとする人が目についたり、いつもいつも自分の目の前に来て波待ちする人がいたりすると、全く波が回ってこなくて「もーなんなのよ。」と正直イライラすることもある。

以前は気にしないように呼吸をしたりして心を落ち着かせるように努めていたけど、最近はこういったイライラや嫌だなーという感情が出てきた時こそ自分の心の成長のチャンスだと捉えている。
物事の捉え方や価値観を変えていけるチャンスだと。

その為にまずは変えられることと変えられないことを見極める必要がある。

目の前に起きている事は変えられる事なのか?変えられるとしたらどうやって?何が出来る?それとも私には変えられない事なのか?

全ての波に乗ろうとする人はいる。
ルールやマナーを知らないのかもしれないし、知っていてもそうしているのかもしれない。それは私にはわからない事。

その人の価値観や行動を私には変えることは出来ない。だけど私の見方を変える事は出来る。

ヨーガが生まれたインドの文化であるヴェーダの価値観では全ての人が平等にその人の役割を与えられていると言う。そして他の人の役割を生きる事なく、自分の役割を生きなさいと教えられる。

日常でもそうだけど、海の中にも本当に様々な人がいる。そして私も含めてその全ての人がそれぞれの役割を与えられているのだ。

端っこで待つ私にはその配役があり、全てに乗ろうとする人にはその配役がある。

もしもみんなで一本の映画を作っているとしたら、私は私の役を精一杯演じることが私の仕事。他の人にもそれぞれの役がありそれを精一杯演じるのがその人の仕事。その役はおかしいと、私の役と同じようにしなさいと言ったり、はたまたその役が羨ましいからと自分の役を放棄して人の役を演じてしまったら映画は成り立たない。
全員が同じキャラクターの映画なんて全然面白くないだろう。

それぞれ違う役割を生きるからこそ調和があるのだ。


話は戻って、では、この海の中で人の事をとやかく言う事なく何が出来るかを考えるとしたら?
その人から離れて移動してみるとか、一度海から上がってみるとか?
あの人が満足して幸せに満たされますようにと祈るとか?


この波に乗りたいと言う気持ちが執着となると、全部乗ろうとする人がいた時にはその人と戦うことになるだろう。
だけど、そんな風に戦いながらサーフィンをするよりも、見方を変えたり捉え方を変える。そんな柔らかさを持って調和を選び、海に入れたことに感謝して海から上がれるサーファーでありたい。

サーフィンが欲望を満たす為のものか、精神的な成長をもたらすものになるかはこういった部分でも変わってくるのだろう。

こんな事を言っている私も海の中でも日常でも意図せずして人に迷惑をかけている事はきっと山ほどあると思う。
自分がいつも絶対正しいと思っているとその正しさからはみ出した人を批判したくなってしまうけど、自分も人に迷惑をかけているんだと思えば人の事も許せる。

自分の心が世界を作っているとしたら、批判する心があれば批判の世界が目の前にあるだろうし、感謝の心があれば感謝の世界が目の前にあるだろう。
自分の心が何を選択するかで世界は変わる。

サーフィンしながらそんな事を思っている。

とは言え、やっぱり波にも乗りたい。

まだまだ修行の道は続くのだ。








2023年11月26日日曜日

【My first India trip】⑤マダムと呼ばないで

朝食前のアシュラムにて、ホールの床に座り目を閉じて力強いチャンティングの響きに身を委ねていた時の事。
チャンティングが終わったと思ったら突如として周りの人々が立ち上がり並び始めた。
神聖なミルクが配られるのでそのために並んでいるのだった。

私たちも列に入ろうと慌てて立ち上がると前にいたおばちゃんが「さあ列の中に入って」と手招きしてくれたので、優しいなぁと安心してなんとなく遠慮気味に入ったつもりでいたら、
後ろにいたおばちゃんがムニーっと前に詰めてくるではないか。その圧で私と和美さんは列から押し出されたが、なんとか5cmくらいおばちゃんたちに挟まってる感じだったのでそこから入り直そうとしたが後ろのおばちゃんは更にみっちりと前のおばちゃんに密着。
もう1ミリの隙間も無いよ。

はて、どうしたものかと思い後ろを振り返るも、50人位(もっといたかも?)の人が前後の隙間なくみちーっと密着して一列に並んでいる。そこにはみ出しくっついているジャパニーズ二人。
全員がっちりとくっついて動かないので私たちもそのまま動かずにいると、後ろの方で男の人が「なんだその振る舞いは」などとちゃんと並んでいない人を注意しているのが聞こえた。
うわぁ、自分も何か言われそうだなぁ、、と考えていると次の瞬間には「マダム!マダム!」と言いながらこちらに近づいてきた。「一体これはなんなんだ!あっちに並びなさい。」と最後尾を指差している。
仕方なく一番後ろに並び直したが、なんとも言えない悔しさと悲しさと敗北感が残った。

インドに来る前に、インドに何度も訪れているベルリンのキャスリンから「インドで列に並ぶ時には両肘を使って自分の順番を主張しなくてはならない事もあるよ」とジェスチャー付きで言われていたのを思い出した。

なるほどこういうことか。
でもアシュラムで肘は使いたく無い。笑

そんなこんなで朝食の時間には遅刻する事になったが、最後尾で頂いたミルクの味は驚くほど甘かった。


朝ご飯で癒されて、少し瞑想をしてから部屋に戻り休んだ後、アシュラムのすぐ裏のアルナーチャラという山の中腹にあるアシュラムへ行ってみることにした。
このアルナーチャラという山自体がシヴァ神であると言われていて、裸足で登るのが基本らしいがサンダルでも大丈夫との事だった。

「猿が襲ってくるから荷物はストールで覆ってファスナーの音は立てないように、それから木の棒を拾って襲われた時の用心棒にすると良いよ」と言うまりさんから事前にもらった注意事項を守り、用心しながらサンダルを履いて登り始めた。
お昼が近く気温もかなり高く少し登っただけで汗だくだった。

しばらく進むとずいぶん後ろから「マダム!」の声が。
自分じゃ無いだろうと気にせずいたら再び「マダム!」と。

恐る恐る振り返ると「サンダルを脱ぎなさい!」と言うインド人のおっちゃん。
「この山は神様だから裸足じゃないとだめ!」
まあまあの声量だ。
「わかりました〜!今すぐ脱ぐから〜!」と素直に従う私たち。

裸足で登ってみたい気持ちもあったし、郷に入りては郷に従え。だ。
それはいいんだ。この国の文化やマナーを尊重して過ごしたいし、裸足で登るのはいいの。

だけど、この午前中2回の「マダム!」コールですっかりマダム!って呼ばれると(ひゃー、怒られる!)って思うようになってしまった。笑

ついでに、マダム!マダム!って追いかけられて逃げる話もあるんだけど、それはまたの機会に。


頼むからもうマダムと呼ばないで。笑



スカンダアシュラムへの道。

アシュラム付近で人が増えてきた。

登っている途中で小さな女の子が「一緒に歩いてもいい?」と現れ
しばらく一緒に歩いたのも良い思い出だ。






















2023年11月23日木曜日

【My first India trip 】④ マインドフルな食事

そんなこんなでアシュラムでの日々がスタートして、幸いな事に宿泊する部屋は快適でアシュラムでの食事もとても美味しくて、右も左もわからない初めてのインドで安心できる空間に居られる事をとても有り難く感じていた。

食事は朝7:00、昼11:30、夜19:30と毎日三食が提供される。
それぞれ時間になるとゴングが鳴りダイニングホールの扉が開かれ、階段を上がり入場していく。

朝はイドゥリーという白くて円盤型のお米の蒸しパンにカレーが1.2種類にチャイ。初日は初めて食べるイドゥリーに興味深々で盛られるがままに3個もらったが、独特の酸味と食感がちょっと苦手な感じがして、二日目からは一個だけ頂いた。和美さんは気に入ったらしく喜んで食べていたけれど。


お昼はご飯に数種のカレー、サクサクの揚げ物や時には甘いデザートが付くこともあった。
お昼ご飯が一番バラエティーに富んでいる。
食事の時間は、最初の数回は緊張しながらだったが回を重ねるごとにその場の空気に慣れて行った。

床に座ってバナナの葉を広げ水で清め、バケツから配られる配給を待ち、どさっとご飯が盛られ、ベシャッとカレーをかけられたらそのそばから右手で混ぜながら食べる事にも慣れた。時には買ったばかりの白いクルタ(インドのチュニックドレスのようなもの)にカレーが跳ねることもあったがそれにも慣れた。
インドの人達は汁も上手に集めて手ですくう。私も徐々に上達したが、数日いたくらいではインド人のようには上手くならなかった。

食事を終えるとバナナの葉を半分にたたんですぐに床から立ち上がり、右手をグーにして退出の列に加わり外に出て水道で手を洗う。そんな一連の流れを繰り返す度にその場に馴染んでいく感覚が心地良かった。
同じ事を繰り返すことの心地よさを再発見した。
そして初めて食べる料理の数々に目で指で舌で味わい無言で黙々と食べるという事で自然とマインドフルな食事が出来たのも良かった。毎日の毎度の食事を無駄な話をせずただただ食べるという行為だけに集中するというのは自分の日常の中ではなかなか出来ない事だ。

毎日三食スパイス料理だったけどお腹を壊すこともなく(といっても出発前に思いがけず食べる事になった激辛カレーのおかげで出発前から若干ゆるめではあったが、、)ピュアベジタリアン(インドの不殺生ベジタリアンなので乳製品は食べる)のフレッシュでヘルシーでサトヴィックな食事により食べたら出る食べたら出る、というとても良い状態になっていった。

この食事がカルチャーショック真っ只中の私たちの心を癒してくれたのは間違いない。


4泊目の夜、ダイニングホールの床に座ると隣には今日到着したばかりの様子の西洋人の男の人が着席した。直前に買ってきたのだろうかピカピカでまだシールがついているステンレスのちょっと深さのある小さめのお皿をバナナの葉の上に置いて、スプーンとフォークを用意していた。さてこの小さなお皿にどうやって食事を盛るのだろうかと気にして見ているとまずご飯がそのお皿にどさっと盛られたけど完全にはみ出している。
それに続いてカレーやギーやヨーグルトをかけてもらってたけどもう全部めっちゃはみ出しちゃって結局ものすごく食べずらそうだ。その上お皿が小さいもんだから量も少なくてちょっとかわいそう。まあ2周目のご飯が回ってきておかわりしてからお腹は満たせたのだと思うけど。
「これ辛い?」と聞いてきて「そうでもないよ」と教えてあげたけど、そんなことより本当はそのお皿ない方が食べやすいと思うよと教えてあげたかった。笑
色んな文化、色んな価値観があるのだとは思うけど、郷に入りては郷に従えという言葉が浮かんだ出来事であった。


それにしてもインドトリップのスタートがアシュラムステイで本当に正解だった。
不慣れな土地で食事の度にレストランなどを探すのはとても大変だし、食べるのもによって体調も大きく変わるからその後の旅を左右することになる。
アシュラムのご飯は南インド料理なのでもちろんスパイス続きではあったけれど、全体的にとても優しい穏やかな食事だった。なにしろ本当に美味しかった!
ここでの10回の食事の経験は食べるという生きる上で大切な事を改めて色々と考えさせてもらえた貴重な体験となった。


話は変わるが、ダイニングホールの入り口には毎日あのオフィスのちょっとこわいおじさまが立っていて、列に並ぶ人々をチェックしている。
たまに「お前ら宿泊してないだろ!」って感じではじき出されている人達がいたけど、宿泊者である事を示す目印があるわけじゃないのにあれだけの人数の人の顔を把握しているというのは凄いなぁと感心した。紛れ込んで食べに来る人がいてもおかしくないと思っていたけど、あのおじさまの鋭い目はごまかせないようだ。

























2023年11月21日火曜日

ワークショップを終えて

先日の恵子アームストロング先生のワークショップをもちまして年内に予定していたワークショップが全て終わりました。

10月にはつとむ先生と恵子先生のコラボワークショップがあり、それはそれはとても深く楽しい五日間でした。あれから一ヶ月が経ち、日本各地をツアーで回って来られた恵子先生が八王子に帰ってきて下さいました。
お帰りなさい!とお迎えできた事が本当に嬉しかったです。

4日間はあっという間で、先生は大阪のご実家に戻られそしてもうすぐ久しぶりのご自宅マウイ島へ戻られます。

何度も何度も同じ事を繰り返すアシュタンガヨガ。
何度も何度も同じ事を伝えてくれる先生方。
アシュタンガヨガの練習も先生が伝えて下さる事も、変わらないからこそ自分の体と心の変化に気づきやすく、自分自身を探究するというヨガの道を安心して歩んでいく事ができています。

もちろん日々の練習が一番大切ではあるけれど年に数回こうしたワークショップで学び、改めて楽しい気持ちや刺激やを頂く機会があるというのはとっても幸せなことですね。
決して当たり前のことではないのです。

参加していただいた皆様改めてどうもありがとうございました。
皆さんが放つエナジーがとても心地良かったです。
この時間が皆さまの輝く日々の糧になっていたら嬉しいです。

また来年、恵子先生もつとむ先生も八王子に来てくれる予定ですので次回のワークショップを楽しみにまた日々の練習を無理なく楽しんで続けていきましょう。

今回ご参加頂けなかった方もまた次回ご一緒できる事を願っています。



恵子先生、今年もありがとうございました。
いつも変わらない愛と優しさをありがとうございます。
その献身的な姿勢から学ぶ事は尽きません。

また、来年八王子でお待ちしています。











2023年11月15日水曜日

【My first India trip 】③アシュラムでの日々が始まる

オートリキシャを降りて少し歩くとすぐにアシュラムのゲートが目に飛び込んできた。

SRI RAMANASRAMAMと書かれた緑色のアーチ型のゲートの中を人が出たり入ったり行き交っている。

緊張しながらゲートをくぐり、マリさんに言われるがままに階段の前にキャリーケースとサンダルを置いてオフィスへ向かった。
荷物から目を離した隙に盗られやしないだろうかと心配する私たちに、「あんな大きくて重い荷物誰もとらないよ」とマリさんが笑う。

私のキャリーケースの中にはお土産のお米などが入っていてとても重いし、和美さんはもしかしたら生地とか爆買いしちゃうかもしれないからと、とても大きなスーツケースを持ってきたのだ。確かにこんなに大きな荷物は盗むのも厄介だろう。とはいえここはインド、ちらちら荷物に目をやり気は抜けない。

オフィスには数人のインド人がいるが、肝心のボス的な人がいないらしくしばらくドアの前に腰掛けて待つことにした。

この日はナヴァラートリーというヒンドゥー教の女神を讃えるの9日間の祝祭が始まる最初の日で、もう一つ階段を上がった白い建物のあたりに人が集まり始めていた。

しばらく待っていると、白いシャツに白い腰巻をした大柄のおじさまが現れ、マリさんに「あっ、きたよ」と教えてもらいオフィスへ入室した。
私がアシュラムに関してマリさんから事前に聞いていた事というと「アシュラムを牛耳ってる人がこわい」ということだけだった。
というわけで、オフィスに入る時の気持ちはまるで校長室か社長室に入る時の様な気分。

今日から宿泊予定の者ですと伝えると、おじさまは一ミリも笑顔を見せる事なくパスポートを出せだの予約を証明できるものを出せだのおっしゃるので、その都度もたもたしないように緊張感と礼儀正しさをもって書類を見せながら答えた。

あまりの緊張感にいつの間にか和美さんは入り口で見守るマリさんの横に戻り一緒に私を見守っている。
一緒に泊まるんだからそんなところで見守っていないでほしい。一人にしないで。笑

無事に部屋の鍵を渡され、おじさまは私にはさっぱりわからない謎のジェスチャーをマリさんに送りマリさんはそれをキャッチしていた。首をくねくね傾げるおじさまにお礼を言いオフィスを後にした。
「あれでどういう事かわかったの!?」
「うん、あっちだって〜」
マリさんがいなかったら部屋にも辿り着けなかっただろう。

サンダルを履き再び荷物を引きながらゲートを出た。
バイクやリキシャが行き交う通りを渡り路地を曲がったところにアシュラム運営のゲストハウスはあった。

門の中は植木などもよく手入れされていて広々としていた。
部屋の中も想像以上に広く、中央にシングルベッドが2台並べて置いてあり天井には大きなファン、そしてクローゼットとデスクがありシンプルながら綺麗に保たれていて快適に過ごせそうな部屋だった。中庭に面して大きな窓とバルコニーまで付いている。

とりあえず無事に今夜の寝床に到着できてほっとした。お部屋も綺麗だし安心してようやく緊張が緩んだ。
もうこのままここで眠ってしまいたい気分だったが、少し部屋でみんなで話をした後に再びアシュラムへ戻り、マリさんにアシュラム内を案内してもらいながらディナー待ちの列に並んだ。
「後は大丈夫そうかな?何かあれば連絡してね」
マリさんとはここで別れた。
朝早くから一日色々とケアしてくれて本当に有難かった。ありがとうマリさん。

そしてチェンナイの空港を出て以来初めて二人ぼっちになり、再び緊張する私たち。
ディナーに並ぶ列は長く、ほとんどの方がインド人で外国人は私たちの他に西洋人が一人か二人。すぐ横にはメディテーションホールがあり、中では瞑想している人たちがいる様子でとても静かだった。

19:30になるとゴンゴンゴーンと鐘がなり、ダイニングホールの扉が開かれとにかく列についていけば良いだろうと階段を上がり室内に飾られる沢山の写真を見ながら前の人に付いて行った。流れのまま席についたのは部屋の周りにぐるりと配置されたテーブル席だった。
後から入ってくる人たちは床に座っている。流れのままに椅子に座ってしまったけど、私たちここに座っちゃってよかったのかな?などと思いながらも隣の人を真似て、テーブルの上のバナナの葉を広げ水をかけ右手で拭う。
そこへブリキのバケツに入ったお米を持った男性がやってきて柄の長いお玉でご飯を置いてくれた。続いて同じようにカレーをベシャっとかけてくれて、いただきますと両手を合わせてから右手で混ぜながら食べ始めた。
和美さんと小声で「おいしいね」とお互い頷きながらの嬉しい初めての食事となった。

そこへ更に赤い梅干のような酸味と辛味のあるペーストと、ヨーグルトもやってきて最後はぐちゃぐちゃに混ぜて全て美味しくいただいた。

私たちの正面に座っていた小さな子供たちがこちらを見ながら笑っているのが気になっていたが、ダイニングホールを出て手を洗い終えたところで、「どこからきたの?」と聞いてきた。
「日本だよ」
「へー!名前は?」
そんな些細な会話だったが、そうか私はここでは外国人で物珍しい存在なんだなぁと実感した。

部屋に戻り、ほぼ水のシャワー(というかバケツ)で1日の汚れを流しさっぱりして、ベッドに寝転がった。

「次来る時は麻子さん一人で来てね。私、もう無理。」
「とんでもないところに来ちゃったなぁって思ってるよ」そう言いながら笑う和美さんの顔は半分笑っていたけど半分本気だった。

ちょっと待って、まだ1日目だよ。
これは長い二週間になりそうだ。笑


アシュラム内は撮影禁止となっていた。

ゲストハウスの部屋の外。

唯一撮った部屋の写真。
ゴミ箱を抱えて気持ちを落ち着ける和美さん。
































2023年11月8日水曜日

【My first India trip】② インドの空気

インドの空気はビザの申請段階から薄々感じていた。

以前よくインドに行く人達が大使館でのビザ申請が面倒でー、なんて話をよくしていたので大変そうだなぁと思っていたが、最近ではオンラインで申請が出来るようになったとの事で、PCを前に軽い気持ちで申請しようと思ったら、入力項目の多さと申請フォーマットのややこしさに2時間以上(いや、もっとかかったかも!?)もかかってしまい、なるほどこれがインドかと行く前からわからされた気持ちだった。

出発の前夜、オーストラリアから我が家に約3週間滞在していた友人と旦那と共に家の近所に夕飯を食べに出かけた。
その店は普段地元の人でにぎわうお店で海外の方をお見かけしたことは一度も無いのだが、
この日は珍しくインド人らしき人達が数人テーブルにいた。

彼等はインドのムンバイから出張に来ているとの事で、インドからとっても辛い唐辛子を持ってきたらしく、お店のオーナーがその唐辛子を使ってカレーを作ったので食べてごらんという事で少し食べたら、激辛。
まあこれもインドトリップの良い練習だななんて言いながら。でもまじで辛かった。いく前からお腹壊しそうなレベル。
そして明日からインドに行くと言うと、まあまあの圧で色々と話してくれたんだけど、インド訛りの英語に耳と脳みそが追いつかず2割くらいしか聞き取ることができず、またしてもこれがインドかと行く前からお腹とコミュニケーションに不安を覚えながら出発の日を迎えたのだった。

マレーシア経由でチェンナイ空港に到着し、飛行機から降りるとむわっとした暑い空気。
時刻は午前11時。
きっとすごく並ぶのだろうと想像していたイミグレーションはがらがらで、2.3人待ってすぐに自分の番になった。
宿泊先など聞かれてティルバンナマライに行くと言うと「アシュラムに行くのか!いいね!」と強めの口調で言って、首をくねくね傾げながらスタンプを押してくれ無事に通過することが出来た。良かった良かった、聞き取れた。

離れたカウンターにいたはずの和美さんが不安そうに「ちょっと通訳~!」と私を呼ぶ。笑
和美さんの担当のおじちゃんは、今度は私に質問してきたと思ったら謎の鼻歌を歌い始めた。
そして私の担当だったおじちゃんはアシュラムでは瞑想するのか?とか、お祈りするのか?とか、自分も行った事があるからとわざわざブースから出てきて嬉しそうに話しかけてくる。

えっと、、入国審査ってこんな感じだったっけ?笑

空いていたという事も大いに関係しているのではないかとも思うけど今まで経験したイミグレーションカウンターの中でのナンバーワンゆるカウンターだった。笑

空港を出るとインド在住の友人まりさんの顔をすぐに見つける事ができた。
右も左もわからず不安な私達の為になんと3時間半もかけて空港に迎えにきてくれたのだ。
こんなにありがたいことは無い。

ゴロゴロ荷物を引きながら歩き始めると寄ってくる沢山の人達。主にはタクシーの客引きだったと思うが、まりさんについていくのに必死できょろきょろする余裕もほとんど無く。
ただただ、想像の中の世界だったインドが現実にここにあるんだという感覚だけがあった。
まりさんから「全部無視してね」と言われた通りに無視して進む。

メトロに乗ってバスターミナルへという事で、空港からメトロに向かって歩き進む道がぼっこぼこ。そのぼこぼこの道に耐えきれなかったのか10年近く一緒に旅をしてきた80リットルのキャリーバッグのタイヤが割れた。笑
まぁ経年劣化していたのだと思うが、インドの道なめちゃいけないってことがわかった。
幸い、内側のタイヤが生きていたので不安要素ありすぎながらもごろごろと引き続けた。

まりさんに先導してもらい想像していた以上に快適なメトロでバスターミナルの駅へ。
駅からバスターミナルまでの道がまたやたら段差が多い。
あと、やたら地面に人がいる。
バスターミナルでは床に寝ている人たちがそこらじゅうに。

まりさんが目的地へ向かうバス(しかもエアコン付き!)を見つけてくれて、こっちこっちと呼ばれる先へ。そして初めてのバス。
ぎゅうぎゅう詰めのでちょっとはみ出たりしちゃう感じのバスを想像していたけど、乗客も少なくとても快適な移動だった。

窓のカーテンは全て閉まっていたんだけど、せっかくだから外の景色を見たいとカーテンを開けると「エアコンバスだからカーテンをお閉め」と注意される。
仕方ないのでちらっと手でカーテンを引いてその隙間から外をのぞいた。

鳴りやまないクラクションや交通ルールなんて無いに等しい道路状況はスリランカでも経験していたが、ちょっとレベルが違う気がする。なんせ人口が多い。
ノンストップで行きかう車とオートバイ。オートバイは3人乗りくらいは当たり前で4人乗りとか5人乗ってる家族もいた。そしてオートリキシャに自転車に、ゆっくり歩く人々と地面に座ったり寝転んだりしている人々。
大きな町から小さな町へそして田舎へを何度か繰り返した。
途中、小さな町で車を囲んで太鼓をたたいたりしている人達がいてお花も沢山散りばめられていて、なんだろうお祭りかな?と目をこらすと車の上に人がくくりつけられていて、その周囲がお花で飾られているのが見えた。

どうやら亡くなった人をみんなで送っているようだった。
まるでお祝い事の様な賑やかさだったけど、肉体からの解放を祝うというのは輪廻転生がベースにあるインドでは当然のことなのだろうか。

インド人の死生観のほんの一部を垣間見た気がしたけど、実際のところあれはどういう事だったんだろう。
何しろ初めてのインド。
見るもの触れるもの全てが新しくて、頭の中にははてながいっぱい。

うとうと眠ったり起きたりを繰り返しながら、数時間が経ち運転手さんにここで降りろと言われたところで降ろされた。

寝起きだし、ここはどこですか?状態だったけど、どうやら滞在するアシュラムへ行くにはここで降りたほうが良いらしく、そこからアシュラムへ行くためにまりさんがオートリクシャをつかまえてくれた。ドライバーとまりさんが値段の交渉をしている姿を見ていると、たくましさがないとここではやっていけそうにないなと感じた。もしくは黙ってぼったくられるかのどちらかだ。

まりさんのおかげで、通常よりは少し高かったらしいが私にとっては乗せてもらえるだけでありがたい初めてのオートリクシャに乗車。
まるでゴーカートのように猛スピードで町を細い路地を駆け抜けていく。
商店街は色とりどりの様々な店と、行き交う人々の姿。
オートリクシャは狭いところやそこは流石に無理だろー!と言うところにもがんがん突っ込んでいく。胸の中に恐怖と面白さが同時に起こっていた。

スリル満点の数分間のアトラクションが終わり、ついに目的地に到着した。

時刻は夕方6時。
埃っぽい通りには行き交う車やオートバイ、そして沢山の人が歩いている。

既に辺りは薄暗く、夜が始まろうとしていた。






























【My first India trip】①

インドトリップから帰ってきて一週間以上が経過した。

果たして私は本当にインドに行っていたのだろうか。
あの国は本当に存在しているのだろうか。
夢だったのではないだろうか。
と思える程に日本での自分の役割にあっさりと戻り、日常の穏やかさや日々のルーティーンに落ち着きながらも日本とインドの空気や時間の流れが違う事を感じている。

二週間のインドトリップは一言で言えば疲れた。笑
帰宅して「どうだった?」と尋ねる旦那への第一声は「いや~、疲れたよ~」だったんだからそれが正直な感想だ。

正直なところ、帰ってきた時はインドはもうお腹いっぱい。しばらくいいかな。と本気で思っていたが、
数日経った頃からやたらスパイスを欲するようになり、あんなに納豆ご飯を楽しみに帰ってきてしばらくは和食のやさしさにホッとしていたのに、一週間後にはビリヤニを作っていた。その翌日にはカレーを食べている。なんなら今日もスパイスが恋しい。

本屋に行けばインドに関連した本が目に止まるし、インドという言葉が聞こえてきたらピクっと反応してしまう。
なぜだろう、気づけば毎日頭のどこかにインドがいる。

もしかしたら私はとんでもない国に手を出してしまったのかもしれない。。







2023年9月6日水曜日

10周年記念クラス&パーティーを終えて

先日9月2日に「10周年だヨ!全員集合」と題して10周年記念クラスとパーティーを開催致しました。さまざまな事情で来られなかった方も多かったのですが、沢山の方に集まって頂きとても幸せな時間を共有させてもらいました。
お忙しい中お集まりいただき本当にありがとうございました。

ご参加頂けなかった方もメッセージを寄せてくださったり、思いを届けてくださったりしてありがとうございました。とても嬉しかったです。
この場にいなくても心は繋がっています。


それでは当日の模様を写真と共に。



土曜日の夕方というイレギュラーな時間のレッドクラス。
はじめの挨拶で何を話すか決めていなかったのですが、思いのままに話させてもらいました。
色んな思いがありすぎていつもながらあまりまとまりのない話だったと思うけど
みんな聞いてくれてありがとうございました。
正直、何を話したのかよく覚えていません。笑


なんか一生懸命喋ってる。
人前で話すのがとても苦手な私がこんな風に話しているという不思議。


初めのマントラをみんなで一緒に。
心を合わせ呼吸を合わせ、感謝と祈りを込めて唱えました。






プライマリーレッド初参加の方も、久しぶりの方もみんなで一緒に最後まで。
やはり大勢でのレッドクラスのエネルギーはすごいですね。
私もガイドしながらどんどん軽くなっていくような感じがしました。
真剣さと穏やかさが共にあったとても幸せな空間でした。

参加して下さった皆さんと!
嬉しい集合写真。

長年お世話になっている幸子さんがわざわざ横浜から会いに来てくれました。
その気持ちが嬉しくて、泣きそうでした。
幸子さん本当にありがとう。


スタジオでの楽しい幸せな時間を過ごした後は会場をgregeさんに移してのパーティー!
スタジオから徒歩3分くらいの所にある自然派ワインとお野菜料理が美味しいお店です。
個人的にも仲良くさせてもらっているオーナー小高さんに今回のパーティーの話をしたところ
大変喜んで引き受けて下さり、貸切でやりましょう!と言ってくれて。
八王子の無農薬のお野菜をたっぷり使ったお料理でのメニューを考えてくれました。


オーナーの小高さん。
自らも仲間と一緒に畑でお野菜を育て汗を流し、
各地のワイン生産者さん達との繋がりを大切にしながら私たち消費者にその背景やストーリーを伝えてくれています。

この日は小高さんに教えて頂いたeverything is a giftというワインを乾杯ドリンクとして私から皆さんへのギフトにさせて頂きました。
とても貴重なワインでお店にはストックが無かったそうなのですが、このワインを皆さんに飲んでもらいたい、という私の思いを受け取ってくれて
たった数日のうちに探し出してきてくれました。ありがとうございます!


お野菜を沢山使ったお料理はどれもこれも驚きと感動で。
本当に美味しかったです。
こちらは白ナスのキッシュ。
想像できうるキッシュのはるか先をいった本当に美味しいキッシュでした。

お酒を飲まない方もドリンクを楽しめるようにと小高さんの畑で採れた夏みかんを使ったノンアルコールドリンクなどこの日の為に特別に用意してくれてそれらもとても美味しかったです。

普段練習は一緒にしているけどあまり話す機会の無かった方同士も色んなお話で盛り上がり。
久しぶりの仲間の登場でわぁっと沸いたり。



後半は「私とSWELLのNOW&THEN」というテーマで自己紹介を兼ねてみんなのSWELLでの思い出をお話して頂きました。

トップバッターはSWELLのみんなが大好きな和美先生から。
初めてスタジオに来た日のことはほとんど何も覚えていないくらい緊張していたそうです。
長年の練習を通してどんどん心が解けていったと話してくれました。
美人でかっこいい和美先生ですが、今や私の中ではゆるキャラのような面白くて可愛い癒しの存在です。初対面の日はクールな感じだったけど、
こんなにかわいい人が中にいたんだね。

和美先生はじめ皆さんのお話を聞きながらみんな色んな歴史や思いがあって
ここにいるんだなぁと、感激と共に温かい気持ちでいっぱいになりました。
それにしてもみんな話すのが上手でびっくり!


ひと段落したところでお店からのお祝いが!
とっても美味しいティラミスのプレートを用意して下さいました。

皆さん写真ありがとう!



パーティーに参加して下さったSWELLファミリーのみんなと!
この時間もこの写真も私の新たな宝物になりました。
みんな温かいなぁ。



「10周年を迎えての私の思い。」

日々色んなことがあるけれど
楽しいことばかりじゃなくて大変なことも沢山あるけれど
”今”というのはどんな時も完璧で、ただただ必要なことが起きています。

誰にでも平等に完璧な”今”が用意されているとしたら
全ての痛みや苦しみや悲しみも
人との出会いも喜びも、全部が本当に大切で尊いものだということがわかります。

今までに起きた事が一ミリでもずれていたら、
あの日あの時あの場所であの出来事が無かったら
”今”は無かったはずです。

あの日晴れていたとか、雨が降っていた、とか、電車が時間通りに来た、とか
なんでもない当たり前とも思えるささやかな奇跡の積み重ねが”今”を作っています。
誰かの何かが僅かにでもずれていたら誰かの”今”もないのです。
健康でいることも、病気をすることも、怪我をすることもまた同じ奇跡です。


SWELLが10周年を迎え”今”があるのも
皆さんの人生の日々の色々やその全ての奇跡があってこそです。
だからこそ、10周年を共に作ってくれた全ての方の過去のそして現在の痛みや苦しみや悲しみ、喜び全てを祝福で包み込み、おめでとうとありがとうを贈りたいのです。
本当に本当におめでとう。そして、本当にありがとうございます。

SWELLという名前は
誰しもが持っている内なる平和に気づき、その平和を育み、
それが溢れて波紋となりうねりとなって世界中に広がっていきますように
という願いを込めて付けました。

平和はいつも自分から。
だからいつもまずは自分を大切にしましょう♡


これからも末永くよろしくお願い致します。


YOGA studio SWELL
柴田麻子