ナンシー先生と出会ったのは今から13年前。2012年のことだった。
それ以前にヨガを学んでいた先生から、アシュタンガヨガを続けていくなら絶対に会っておいた方が良い重要な先生がいるという事を聞かされていて、それ以来ずっとその名前が頭の中にあった。
ナンシーギルゴフ。
共にヨガを学んでいた先輩から、「沖縄にナンシー先生が来るから一緒に行ってみない?」と声をかけていただき「いきます」と返事をしたことは間違いなく私の人生の大きな分岐点となった。
2012年のその沖縄で、私はナンシー先生と、アシスタント兼通訳だった恵子先生、アシスタント兼オーガナイザーだったツトム先生と初めて出会った。
その時に受けたアジャストメントクリニックという五日間のワークショップは午前中はマイソールクラス、午後はアシュタンガヨガについてお話とアジャストメントを通して学ぶという構成で行われた。
その五日間の中で、ナンシー先生の口から語られることやクラス全体に流れている空気感が、自分がそれまで抱いていたアシュタンガヨガのイメージと何か違いがあるのを感じた。
その時点で細々ながら7年程アシュタンガヨガを練習していて、たまにスタジオに行く程度でほとんどが自宅でのセルフプラクティスだったものの、確かセカンドシリーズのカポターサナまでの練習をしていたような記憶がある。
それまで習ってきた先生達から教わってきた事をただ真っすぐに練習していた。ポーズの"完成形"を目指して努力していくもの。そういうものだと思っていた。そこに疑問は無かった。
アジャストメントクリニック初日のマイソールクラスでプライマリーの練習をした。
プライマリーシリーズの最後のアーサナ、セツバンダーサナを終え、いつも通りバックベンドの流れに移り、立ち上がってドロップバックをしようと体勢をととのえていたその時、「プライマリーの時はドロップバックしないさ~」とつとむ先生から声がかかった。
(えっ?しなくていいの?)
よくわからないながら、その声に従ってマットに座るとなんとなくほっと心が軽くなった感じがした。
翌日のマイソールではプライマリーとセカンドシリーズの前半を練習した。
はっきりと覚えていないがカポターサナで先生のうちのどなたかが来て下さったと思う。自分としてはもっと深くかかとの方へいかなくてはと思っていたけど、つま先に手が触れたかどうかのところで5呼吸終わり、起こしていただき「ナイス!」と。そして去っていった。
(かかとをつかめるようにもっとやらなくていいの?)
よくわからないながら、これで「ナイス」なのか。
肩の荷が下りた感じがした。
午後のアジャストメントクリニックでナンシー先生から語られる様々なお話からそれらについての説明もあり、日が進むにつれ軽くなる心を感じるとともに、私は知らぬ間に「自分はまだ足りていない」というプレッシャーを自ら背負っていたことに気づいた。
軽くなった感じがしたということは自覚はなくてもそれだけ重かったということで、気付いていなかったその荷物をどさっとおろした感じがしたのだ。
抱えていた緊張が抜けて、楽しさが内側から湧き出てきた。
この先生達からもっと学びたい。
そう思った。
そこからナンシー先生、恵子先生が来日する度に沖縄のツトム先生のスタジオなどでクラスに参加して学びはじめることになった。幸いなことに恵子先生とつとむ先生の献身的なバックアップのおかげで年に一度は日本でナンシー先生のクラスを受ける機会に恵まれ、恵子先生の年2回の来日時と、そのうちに恵子先生とつとむ先生に八王子へお越しいただける幸運にも恵まれ、2017年と2019年にはナンシー先生にお越しいただくという、八王子にいながらにしてとても恵まれた環境で学び続ける事ができるようになっていった。
ナンシー先生が1973年にはじめてグルジ(sri.K.パタビジョイス師)からアシュタンガヨガを学んだ時の話はとても楽しく興味深く、クラスの間グルジもナンシー先生達もいつも笑顔が絶えず、練習はとても楽しいものだったということを話してくれた。その話をする時のナンシー先生はいつも笑っていた。
ナンシー先生が初めてインドのマイソールを訪れた時、グルジは病気を抱えた人達の治療の為にこのヨガを教えていたこと。そしてナンシー先生自身、大量の薬が欠かせない程の身体の不調を抱えていたにもかかわらず、グルジのもとで練習を始めてからみるみる健康を取り戻していったこと。(そして70歳をすぎるまで世界中を回りながら大勢の生徒達にアシュタンガヨガを伝え続けていた。)
最初の4か月のインド滞在の間にプライマリーシリーズとインターミディエートシリーズの全てを学んだ事や、ポーズの"完成"という事についてグルジから言われたことは無いということ(例えばマリーチアーサナDで手が繋げるかどうかとかカポターサナでカカトをつかむようにとか言われたことは一度も無いなど)そしてプライマリーとインターミディエートの両方を行うことによってこのシステムの恩恵を享受できるような体系となっているので、プライマリーだけの練習に長年留まるべきではない。
一回の練習に長い時間をかけずぎず一時間程度のものにすること。呼吸のことやアーサナの意味や、手の位置の意味、足の位置の意味、無駄のないアプローチなど細かいことの全てが当時の私には新鮮なことが多いながらも納得することばかりだった。
(※これら練習に関する具体的なことは文字だけでは誤解を生みやすく正しく伝わることではないと思うので、ぜひクラスやワークショップに参加してこの事を受け継ぐ指導者から直接話を聞いていただきたいと思う。)
それ以来そのシンプルな練習方法にシフトしていく中で徐々に「自分はまだ足りていない」という感覚が薄まっていくのを感じていた。
私は私のままで良いみたいだ。
そんな風に自分を受け入れることを学びながら、日々の練習の質感はどんどん軽くなっていった。
ナンシー先生に出会ってこの練習方法で続けて13年。今私の身体はもしかしたらナンシー先生に出会う前よりもある部分では柔軟ではないかもしれない。でも日々の自分の身体を受け入れながら練習そのものを楽しみながら練習を終えた時には元気がチャージされているそんな今にとても満足している。
ナンシー先生と出会う前の7年間よりもその後の13年間の方が確実にアシュタンガヨガのメソッドの恩恵を受けているような気がする。
何かができるようになったら”完璧”なのではなくて、今この瞬間が”完璧”だという教えは私にとってなにより”完璧”な働きをしているように思う。
グルジが亡くなる少し前、ナンシー先生がグルジに「様々な事が変わっていっています、、私はこれからどのように教えていけば良いのでしょうか」と質問した際、グルジは「私が"あなた"に教えたように教えなさい」と言ったという。それはナンシー先生にとってとても強いメッセージだったそうだ。
その言葉を胸にナンシー先生はご自身が教わった通りに教えつづけた。メソッドそのものだけでなくグルジのクラスがいつも笑顔でいっぱいだったのと同じように溢れる笑顔とともに。
アシュタンガヨガの人口が世界中で爆発的に増えて様々なことが変わっていく中で、それを保ち続けるというのは、深い尊敬と献身がなければできなかったことだろうと思う。
学び始めた当時のナンシー先生はとても身体が弱く一人で行うのが困難なアーサナが沢山あったという。グルジが手取り足取りのアジャストメントによって全てのアーサナを教えてくれたようで、当時パートナーだったデヴィッドウィリアムズはその姿を見てアーサナを習得していったという。(デヴィッドはそれ以前からハタヨガを実践していて既にヨガのアーサナに馴染んでいたそうだ)
その学び方の違いにより、共に学んだ二人ではあるけれどアジャストメントで伝えるナンシー先生と違い、デヴィッドはほとんどアジャストメントはしないという全く異るティーチングスタイルになったそうだ。
ナンシー先生はナンシー先生がグルジから教わった方法で、他の人はその人がグルジから教わった方法で教えている。先生と生徒が一対一で個別に伝えられたものだったからこそ、そこに違いがある。
それらはそれぞれが尊重されるべき大切なものだと思う。
どちらが正しい間違っている、どちらが優れている劣っているという話ではない。
ナンシー先生がグルジから一対一で教わった事を守り私たちまで受け渡してくれたことは本当に貴重なことで、こうして日本でこの教えを受け取る事ができたのは紛れもなく恵子先生やつとむ先生達の献身とたゆまない努力のおかげで、そのお二人が「このアジャストメント、このティーチングに誇りを持ってください」と話してくださる事が時間が経つほどにじわじわと私の中に広がっているのを感じる。
当時決して丈夫な体ではなかった女性が学んだこの練習方法は、アシュタンガヨガは年齢や性別、どんな体型どんな健康状態であるかにかかわらず誰でも安全に実践できるものであり、そして自分自身を受け入れながら身体と心を元気にしていく効果のあるものであるという事を教えてくれている。そしてアシュタンガヨガのプラクティスは楽しい!ということを。
このような道があるということを約50年間もの間守り伝え続けてきてくださった事にただただ深く感謝している。
アシュタンガヨガは健康な人や体力のある人や柔軟な人といった特別な人のためにあるのではなく本当は誰にでも”全ての人”に開かれている道だということを示し続けてくださった事に心から感謝して、これからも献身とともに学び続けそして次の人へ手渡していくという事を愛と感謝を持って続けていきたい。
受け継がれてきた笑顔とともに。
実際にお会いするのは最後の年となった2019年。八王子でのクラスにて。
2016年北海道ニセコで初めて開催されたプラクティショナーズクリニックにて
最終日に撮らせていただいた一枚。